カッツェにしてもいいですか

お酒を飲んでサブカルチャーに触れたり北方謙三に抱かれたりするブログです。

<a href="http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=6690">ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスの生涯が映画化</a>

18日が命日だったんだあ。遅ればせながら黙祷。
しかし、複雑だあ。
映画「24HOUR PARTY PEAPLE」
24アワー・パーティ・ピープル [DVD]
の出来が良過ぎたせいもあって。

イアン・カーティスの死については、リアルタイムで体感していない事もあり、全く実感出来ていなかったというか、生きているのか死んでいるのか。

で、この映画を観て初めてオレの中でのイアン・カーティスの葬儀が行われたのです。少しでも彼の死を認知出来たのです。その生々しい、死に至る経緯を見せ付けられて。

それはイヤな経験なんかではなかった。次へ歩を進めるきっかけになった。彼は永遠にオレの中に生き続けてくれる事がわかった。銀盤の中には彼は込められている。そんな彼のがなりをいつでも聴く事が出来る。そんな当たり前の事に気付かせてくれた訳です。

というわけで、葬儀がもう執り行われているわけで。それだけの体験の後だけに、この映画化を自分の中でくどいモノに思ってしまったのです。

なんつーかね、土葬した死体をまた掘り起こすというか。
春秋戦国で言えば死体に鞭打つ伍子胥プレイというか。イヤ、イアーン!そんなに鞭打つモノではございませぬぞ、伍子胥殿!何事もよしなに!「なあに言ってんだ、そちとかも鞭打っちゃうぞ!」「そんなご無体な!イヤ!」「打っちゃうぞ!こら、待てぇ!あはは!」「そんなに鞭打ちたければ捕まえてご覧あそばせまし。うふっふー♪」
とかって、あ!のろけ話に聞こえちゃいますよね。人は誰しもヒゲメン武将とドーン・オブ・ザ・デッドなデッドマンウォーキングとの恋の追いかけっこに憧れますものね。憧憬えがきますものね。鞭でビシッ 痛い!遺体!!

そういう感じ。よけい分かりにくいよ。

葬式は一回でいいなあ、という感じ。でも多分、いや絶対観る感じ。

あと、記事中のモービーへの通称「テクノ坊主」っていうのはいいな。「ダンガン坊主」みたいなチョウ・ユンファ。観てないけど。にょほほ。あ、「スティール・ボール・ラン」買わないと。話飛び過ぎ。ムキ!!