野村総研が分析できない燃えビジネス
「漢と書いて、おとこと読む。そういう漢の小説を、書いてみたいと思っていた。」
草が燃えていた。
世界のKENZOも燃えていた。
早く文庫化しねえかなあと願う民草がここにいた。
なので、文庫化された黒龍の柩 (上) (幻冬舎文庫)を読み始めているのだけど、ハードボイルドっていうのがどういうものか分かっていないオレなのですけど、北方先生の筆による会話描写って、えらい柔らかいというか、世間話の態で流れていき、そして行動や事象は淡白に流れていくんだけど、実際に起きているのは陰惨な人死にやら戦乱で、その温度差が良いなあ。
まだ読み始めたばかりなので今後、まあ戊辰、函館戦争辺りまでゆかないと起きないのかもしれないけど、とりあえず壬生の浪士が闊歩する今京都ではまだ「揉みに揉む」*1現象が起きてないのが寂しいだけだ。騎馬は突っ込まないしな。
あと、実に旨そうな料理の描写が目立つ*2のだけど、それはグルメという類ではなく、学生が安い多い旨いでガツガツ平らげる類のもので、実にしっくりくるのであった。序盤で、鯉の甘露煮をみんな旨い旨いいうて食べくさりやがるので、この悔しい思い糧にしたい。臍だけでなくハンケチも噛んでいきたい。キーッてなりながら。