カッツェにしてもいいですか

お酒を飲んでサブカルチャーに触れたり北方謙三に抱かれたりするブログです。

維新前進

夕凪LOOP(初回限定盤)

夕凪LOOP(初回限定盤)

現況として、『ハニー・カム』のPVを何度も何度も見てニヤニヤし、通勤電車でアルバム聴いてると知らず知らずのうちにニヤニヤしている自分に気付いて慌てて他のに変えるのが仕事なのですけど、今回のアルバム、自分としてはお気に入りです。

ただ、mixiのコミュなどを拝見していると随分と否定的な意見が多いです。多いのは「似たような曲調」というのなんですけど、それは菅野よう子の時がやりすぎていてあの人が多様すぎるということなのだと思うのだけど、言わんとすることは分かります。確かにそういう印象を受けます、このアルバムには。

で、ふと思うのですけど、今までの菅野よう子が手がけた坂本真綾作品ってのは、良かれ悪しかれ背伸びアイテムとしてのリトマス試験紙的な機能をしていたと思うのですね。

ポップなメロディに、ミュージックマガジンが飛びつくようなネタ満載のアレンジで。

んで、ここで大雑把に二手に分かれると思うのですけど、今までチャートにのるような音楽をなんとなく聴いてきた人が(それらの音楽が浅いという意味ではありません。聴く側が聴こうと自覚的に、いや自意識過剰に聴こうとしてるかです)、この菅野ワールドに触れてそのルーツに手を伸ばしていくってのと、最近はユーロプログレしか聴かんよみたいなうるさ方が、あぁポップミュージックというのもこう入っていけるのだなあと聴く、と。

で、反発が大きそうなのは、前者なのではと。まあ中二病の発露だとは思うのですけど。要は小難しいことやる方向にいけばいくほど、それを理解できる自分最高、っていう向きですね。

それはそれでいいと思いますが、かといってあの少年アリスの後に何ができるっていうんですかと思うのですね。その小難しいものとポップの仲介として、ガチガチに完成しすぎてるわと。あれが出来ちゃったからもう、袂を分かたなくちゃいけなくなったんじゃないの?と。

で、今回のアルバムですけど、90年代のアイドルグループribbonに比較できそうな、歓迎すべきガールズポップだと思いました。

90年代にはアイドル文化ってものが衰退しつつあって、かといって固定客がいるので一定の売り上げは見込めるという状況の中で、なら好き勝手やっちまおうという人たちが楽曲提供する例が多かったのですが、その好き勝手度数ってのは、ちゃんと人前に出るってことは分かりつつのレベルで発露していて、で、歌う側もどこかしら自分らがカルトになりつつあることを認識していてそれを楽しんでいるような風情も感じられて、その折り合いが絶妙だったと思うのですね。

今回のアルバムに収録された楽曲を聴いていると、今までこの「坂本真綾」なる人物が菅野よう子という人に10年近くプロデュースされてきたということを意識してしまって戸惑い気味なものや、そんなもの知らなくて普通に仕事としてこなしているものなどが渾然としていて、その探りあいがどこかしら薄いトータルアルバムのようになってますけど、結果それは心地良いポップな統一感に満たされています。その雑然が最終的に一体化しているさまがribbonを思い出すなあと。


で、自分の話ですけど、最近ちとアンダーでグラウンド気味なものばかり聴いていて食傷気味になっていたところで、このポップさ加減にヤラレたのだと思いました。
あと、今までの真綾さんの歌詞世界っていうのは非常に心を刺すものか救済するものが多く、その度合いはクスリにもなり毒にもなるというような鋭さと癒しがあったのだろうと思うのですけど、だからこそ普段なにげなく聴くといった態にならなく、そういう時への処方として聴いてたのですな。でも今回のは気構えなく聴けて良いです。気構えなさすぎてデレデレしてしまうのですけど。


ボクは、今までもこれからも、「KANからCANまで」を理想として音楽を聴いていこうと思います。

あ、今回のアルバムでのビートルズぶりの濃さというか薄さというか、持ってきかたの中和具合がKANさんに似てると思った。