カッツェにしてもいいですか

お酒を飲んでサブカルチャーに触れたり北方謙三に抱かれたりするブログです。

春のしずちゃん祭り

親に連れられて、初めて行った映画というのはどうも実写『ドカベン』みたいなのですが、もうちょい鮮明に覚えているのは『ドラえもん のび太の恐竜』なんですね。なにしろ混んでいて、通路に新聞を敷いて座り、劇場の換気が不十分の為息苦しかった記憶があります。内容ではなくそういう状況の記憶が。

まあそんなボクですが、小さい頃からもう藤本弘さんのマンガが大好きで、Aさんのももちろん好きで、まあ藤子不二雄が好きということなのだけど、でも好き度で言うとやっぱりF先生なのですね。
一般的にはどうもAさんのAはアナーキーと言わんばかりの、そういう視点で語られて、Fさんと言えば児童マンガを最後まで貫いた聖人君子みたいに語られていると思うのですね。

ボクはね、Fさんがそういう心つもりでいたことは否定しませんけど、その手段というか、どうしても発露してしまう部分というか、なんというか昭和のマンガ家には多いというか当たり前だった部分というか、まあアレですね、物語とは関係なく異常に粘着的に固執する、執着する、そういう部分をみな持っていたと思うのですけど、Fさんももちろんそういう方で、そういう部分が多分に発露していたからこそいまだに語り継がれていると思うのですね。児童マンガなんてその他にもあったのだから。歪み・ひずみ。そういったものがあるから強い印象を残しているのだと思います。FさんのFはファッキンジャップであったりフェイタリティであったり、それなりに残虐行為手当のもらえるようなものだと思います。

日常SFなんていう設定自体もよく考えたら異常ですよ。しかもほとんどの作品そうだし。すこしふしぎがおおすぎるふしぎ。
で、あとはアレね。恐竜への執着、SFを主にしていない話で突然語られるSF概念とか。
これが言いたかったのだけど、もちろんFさんが一番執着していたのはパンツです。パンツに決まっている。それはもうおのずと。思わずはてなダイアリーの編集画面で「B」をクリックしちゃうほどに。

だって、必然性がないんですよ?これが桂正和さんとかみたいに、パンツです、どうですかこれだけ描き込むくらい今パンツです、っていう出方じゃないんです。ほぼ均等なコマ割りの中で、なにげなくパンツなんですよ?異常という他ない。歪んでいるし、ひずんでいるのだけど、それは小学生原理に非常に忠実な態度であったりして実は健全だったりもして、だからこそ小学生から大人までに愛され続けているんだと思います。大人になってFさんの描くパンツにEROさを感じている人がオレだけだとは言わせない。だって、オレだって夢見る少女じゃいられないから。

そういう意味合いで、Fさんのそのパンツ度合いを理解した上でなされたアニメ化作品は『エスパー魔美』と『チンプイ』かなあと思います。諧謔の点でもFさんの持ち味というものを再現していましたね。

というわけで、他にも数々アニメ化されていますが、なにも分かっちゃいないですね。キテレツなんてひどかったと思います。そういった、Fさんのいびつさを一切スポイルしていましたよ。T.P.ぼんの方がひどかったか。もちろんドラえもんだって例外ではない。

児童マンガでしょ?それは毒っ気をそぎとることでしょ?というスタンスでアニメ化することを否定したい。毒にも薬にもならない創作物というのが一番タチが悪いと思うのです。薬にならないのなら毒の方がまだいいんです、きっと。
 
 
で、この春いよいよドラえもん映画再生への第一弾『のび太の恐竜 2006』が上映されるわけですね。
ワタクシ、先日テレビ朝日にて放映されました『ドラえもん誕生物語〜藤子・F・不二雄からの手紙〜』を、遅ればせながら拝見しました。
こういった番組にありがちな、ドラえもんのみで語る聖人君子たるFさん視点で語る番組なのかなあと期待していなかったのですが、予想に反してかなり濃い内容で、うならせられました。ごめんテレビ朝日さんと。しかしこういう番組はもっとあってもいいものだと思う。藤子両先生は手塚さんと違ってメディアが軽んじすぎている。それは出版社だってそうで、ボクは事情をよく知らなく、遺族がどうのとかって理由も聞いたことあるけど、ともかく子供の為に描かれたF先生の作品を網羅したFFランドがいまだに再出版されずに、異常な高値で取引されているという現状を天国のFさんが知ったらきっと嘆くと思うのですよ。あぁ、話それた。

ともかくこの番組で映画の映像を観たのだけれど、ともかくヤバイ。いびつで歪んだ情念が伝わります。それは本来のFさんが持っていたところとは違うのかもしれないけど、そういった歪みをもっていること自体が大切なんだと思いました。

その歪みを一番感じたのは、ドラちゃんの顔が藤子文脈をはるかに逸脱した形で変化することもそうですが、髪ですね。髪が異常です。いやちょっと表現間違ったけれども、藤子作品としては異常だということだろうか。Fさんのマンガにおいて、服装とともに髪型も記号なんだけど、このアニメではその記号を髪と新たに認知して作られています。それは女子であるしずちゃんにおいてもちろん顕著なうえ、矢吹ジョーのようなあのスネオヘアーも、そしてあのヘルメット状の、はい撮影入りまーすというADの声に渋々のび太役の人が被る、あののび太ヘアーですら揺れます、揺らめきます。たとえ猫っ毛だとしても、あの短さでは風に揺れないと思うのだけど、それでも揺れます。素敵な意気込みだと思います。見えるはずの角度なのになぜかパンチラする、そういったEROさを感じます。EROさとは、単に性欲ってことではなく、そういったドロドロの情念のことだと思います。だってのび太ですらEROい。

そういったものが織り込まれているこの映画に期待せざるを得ません。いい年をして、親子連れにまぎれてボクは一人観にいきますよ。そしてきっと泣きます。慟哭といったレベルで。

唯一気になる点は、ピー助の声があまりに素な点。今調べたら、えー!?僕たちの好きなあの神木きゅん?複雑な面持ち。