カッツェにしてもいいですか

お酒を飲んでサブカルチャーに触れたり北方謙三に抱かれたりするブログです。

あの頃僕らは

野本かりあ版「東京は夜の七時」がCD+DVD作品としてパッケージ化!
この記事をひいているのは、何も自分にとって吉報とかそういうのでは全くないのですね。ニュース自体古いし。
何かっちゅうと、こないだなんとはなしにNHKをつけっぱなしにしていたら、アップルストアで小西氏とこの娘っ子が「東京は夜の七時」と連呼しておって、まあそれはいいとして、それを、まさに傍観と言った方がいい微動だにしない、だるまさんが転んだままの人たちが階段に骸のように座したり立ちすくんだまま死んだ目で、とんだりはねたりしている二人を見つめているその絵が異様で記憶に残っているのです。なんだあの場末のデパート屋上の営業みたいなの。ポップジャムだっけかなあ。

で、あれはなんだったのだろう…と思ったらこれだったのね、ということなんですけど。




渋谷系ってなんだったんだろうと、ふと思った。それは、先日連休の真っ只中に渋谷へ行った際に思ったこと。
そこにはおしゃれのかけらもなかった。怠惰だけですね。歩道を無秩序に埋め尽くすオツムのネジがこりゃまたビックリ外れてるような方たち。嫌気がさして逃げていった店舗を埋めるように、コンビニが増えていた。
あと、HMVのトイレに行ったら、大便所を待ちながら
「あー…今HMVのトイレでうんこしようとしてるとこー…今どこにきてんのー?待ち合わせどうする?ここにする?…あー、そう…あそこねー…あー、あー、じゃあそこに行けばいいのなー…」
って致死量なくらいダラダラケータイでしゃべりながら、トイレが空いても俄然そのクソみたいな会話を続けたまま入らず、後ろに並んでる人が業を煮やして「先いいっすか?」みたいに聞いても答えねえのな。で、その人がトイレ入るとそこから外れてやっとこ外に出てんのな。お前、これからクソするの禁止な?そのかわりクソみたいな会話はクソとともに一生一緒にしてくれや。




色々思ったのは、iTMSのCOLTEMONIKHAのカスタマレビューがきっかけ。
(iTMSが開きます)
http://phobos.apple.com/WebObjects/MZStore.woa/wa/viewAlbum?id=156222405&s=143462
その中の一つに

capsileの新譜「FRUITS CLIPPER」に「何か足りない」と感じた貴方。その成分はこの中にあるかも知れませんよ。お試しあれ。

というのを見て、あーそういうことね、と逆説的に納得したのですね。

このアルバム以前のcapsuleは、正直時折聴く程度にとどまっているというか、むしろよほどのことがないと聴かない。
それは、まあcapsuleファンの人に怒られそうですけど、ぶっちゃけあれですよ。
「ピチカートやってるだけでしょ?」
ということですね。
で、そうすると、
「何か足りないと感じるならピチカート聴けばいいじゃん」
ということですね。


今回の新譜では随分賛否が激しかったようで、否の意見は概して「その成分がない」ということのようです。
一方、自分は「その成分が邪魔」だったので、今回の新譜に激はまりなわけですね。
で、その成分は何かっていったら「自己がおしゃれ・オサレ・またはそれに類する気分に浸れる属性である、浸るに値する存在であることを確認するためのリトマス試験紙」ということですね。

どうやらiTUNESさんによると、今日このアルバムをちょうど百回聴いたことになるようです。
ボクはこのアルバムを、「中高生の期間、なんの生産性もないゲーセン通いに費やした全ての若き野郎どもへのアンセム」と受け取るのです。
この期間を「あの頃」と呼ぶとして、その指す時代というのは聴き手それぞれに違いがあっていい。むしろあって欲しい。
自分が己を忘れて小遣いの上限も忘れてはまったゲーム、そのBGM、その前後でポリリズムで鳴らされる他のゲームのBGMをノイズとしてでなく環境音として耳に収めていた時、それを各自「あの頃」と言えばいい。
家でひたすらゲームやっていた様でもいい。家庭の雑音、豆腐屋のラッパが聞こえる中鳴り響いていたそのゲームミュージックを込み込みで「あの頃」と言えばいい。

個人の感想としては、このアルバムを聴いていると、どうしてもBEEPソノシートを聴いていた「あの頃」を想起してしまうのだな。それは本物のギターを鳴らすのはかったるいからということでヴァーチャルギターで済ませてるあの音でアフターバーナーを思い出してしまうし、ウソ臭い金属音でラスタンサーガを思い出してしまうし、泣きが入るメロディでニチブツのテラクスタを思い出してしまうし、中途半端なギコギコ音でカプコン初期を思い出したりメガドララングリッサーを思い出してしまうし、ただでさえそうなのに歌詞世界でどうしても「あの頃」を強制的に思い出させる。

音楽と地域性という点で、日本はあくまで首都東京で鳴っている音が周囲に波及していくという状況、または地域性といっても東京都内の狭い各地域で存在しているという状況がある錯覚に陥ることもあるのですけど(もちろん現実はそんなことは全くないですけど)、今回のcapsuleのアルバムにおいては、おらが町のゲーセン系じゃね?ということを各自が各自違う捉え方で聴いていたら面白いなあと思ったのでした。