カッツェにしてもいいですか

お酒を飲んでサブカルチャーに触れたり北方謙三に抱かれたりするブログです。

また出会う太陽

あれ、なんか二日連続呑んどるね。もうダメかもわからんね。
こないだ久々に呑みに行った時にビール20杯以上呑んでしまい、その刹那社会の窓とバイストン・ウェルへの扉が同時に開いちゃったかしらね、観音開きで。思い出せない、そんなことない。少し扉を開くだけです。バイストン・ウェル覗けます、よ?覗きたいんだろ?オレのバイストン・ウェルをよう!(IN-Kの隠喩)
そりゃロックフジヤマの先週放送でマーティ・フリードマンからROLLYさんが「社会の窓全開だよ」と流暢な日本語で突っ込まれますよ。あと、マーティさんはROLLYさんが弾いてるとオレのが上手いとばかりにムキになって弾きまくるところが大人げなくて愛しさに包まれる。
そんなネット猥褻物陳列罪を公然と行うアル中(アルティメット中量級最強トーナメント)ですが、お友達からお願いします!(「上海紅鯨団が行く」の後番組風に)

以前は文章を書く際に酩酊していればなにかしらのサイケデリックへと到達できるのではないかという期待も込めていたのだけど、自分なぞは酒かっくらって原稿書くあげくアル中になった中島らもさんから才能を五時間かけて摘出手術成功して抜いたような状態、すなわち酒を呑んで文章書くという部分だけ酷似しているだけであり、プチクリならぬプチらもであり、ひげ的にはチョイラモ(チョイ悪気取りのジローラモ)であり、首筋のひげの剃り残しは大変芳醇であり、結局のところ出来上がる文章というのはシラフと酩酊の状態での差というのはほぼなく、あるのは「こんなん書いていいんだろうか…」「これ伝わらないだろ…一人よがりにもほどがある」などという、アクセス(浅倉じゃない方)数なぞ100にも満たない状態で別に気にせんでいい不安や惑いを脳全体麻痺させて払拭するというだけの効果であると言っても過言ではないですね。そっか、じゃ、お酒やめなきゃね!(4本目呑みながら)しっかしグリーンラベルうめえなあ!(日本一の日雇い人夫ヅラで)


ところで、時かけはリピーター続出らしいのですけど、なんだかあの映画に対して自分は一期一会的な感慨であり、ドラえもんの流行性ネコシャクシビールスの効果でのび太が8月12日に三河屋で買ったコーラの王かんを200万円で買えた瞬間はあの日だけであるような感慨で(その辺りは「デジモン ぼくらのウォーゲーム」とはまた違う印象)、劇場で観るのはあの瞬間だけでいいやと思ったのですけど、『太陽』はまた繰り返し観たいなあと思ったのですけど、なんでかなあと思ったらさっき読んだ吉田アミさんのこちらでの記事「日本人が目をそらした人間・ヒロヒト……昭和天皇を直視する」であ、そう(口パクパクさせながら)と思いました。主にこの部分。

ソクーロフ作品にハリウッド映画のようなお金を出せばもれなく与えられる「商品」を期待するなら肩透かしを食らわせられるだろう。そう、ソクーロフの映画とは観るのではなく、体験するものなのである。受動的であるだけではその作品の真髄に触れられない。

あー、この辺なんだろうなあ、オレがまた行きたがってる理由って。スターツアーズならぬヒロヒトツアーズ。座席は微動だにしないが眠まったら「はい!起きなさい」でビクッとさせられる感じの。夢体験。夢冒険。夢操作1。プラレス3四郎。また夢で逢いましょう。