カッツェにしてもいいですか

お酒を飲んでサブカルチャーに触れたり北方謙三に抱かれたりするブログです。

ままならんね

ぼんやり曇った地下鉄に揺られて。新装版 戦雲の夢 (講談社文庫)を読み進めていたのだけど、大変心に残る台詞に触れズギューンとなる。
土佐22万石を召し上げられ、不遇を囲う主人公・盛親に対し、しきりにエロスを勧めるとんだ生臭坊主・林豪さんが、こうのたまう。

「愚人であればあるほど、どうにもならぬ境涯で、どうにもならぬ野望をもつ。片鱗でも持つと、日常の暮らしが、とたんに暗うなる。人の不幸とは、そういうことじゃ。捨つべきじゃな」

まったくその通りだ。能力のない者ほど本来能力があるはずだという絶対前提を打ちたて、そうでない現実に悲嘆するわけだ。で、実際試みてみても、能力がないわけだから望むべき成功なぞするべくもなく、更なる悲嘆にくれる算段である。この坊主、ただものじゃねえな?

また、他にも強烈な印象を残す場面もある。
豊臣政権における大坂で育った盛親が、土佐武士になじめぬ感慨を持つ。

(なにしろ、牛を犯す土地だからな)
盛親は、わが国許ながらあきれていた。この弥次兵衛でさえそれをした、とかつて弥次兵衛自身の口からきいたことがある。−この国では気のあらい若衆が集まるとさまざまな肝だめしをやった。そのうちの一つが、「牛試しの法」である。地面に杭を四本打って、それに牝牛の脚をそれぞれ縛り、背後に台を設けて、試される者が立つ。牛と交尾をさせ、もし試される者の生理がそれを許さなかったならば、「臆したる者」としてあざけられるのである。

まったくその通りだ。柔弱で臆している者ほどこういう肝だめしを野蛮なものと、あ、引用どころちゃうわこんなとこ。終わり。