カッツェにしてもいいですか

お酒を飲んでサブカルチャーに触れたり北方謙三に抱かれたりするブログです。

オレの時間 ネコの時間

オレが10代の頃は80年代であり、年齢的には非常に活動的であり時間も無限に広がりをみせるかのように思えたのだけど金はないわけで、そうすると映画の価値というのはどれだけ長い間楽しませてくれるかというのが大事なわけだ。
当時オレが観ていた頃は、まあオレの雑感なんだが140分くらいいくと「この映画長くて儲けた」といった感じで、そうすると満足感が高いわけだ。
そんなわけなので、満を持して友達と『ロッキー4』観に行った時には衝撃を受けた。90分て!というわけだ。わけだらけだな。

で、30代の今となっては、もう180分の映画は勘弁願いたいわけだ。どんなに面白くとも。
もちろん劇場の椅子に座ってると腰が痛くなるというような問題もあるんだけど、そんなんよりもそれだけの時間拘束されることがイヤなのだ。なので、ハリポタやらLOTR辺りから始まった(と、思われる。いやタイタニックか)180分当たり前時代にドロップキックを放ちたいのだ。映画は90分で十分ですよ、分かってくださいよ。

なんでかっつうと、無駄に過ごしているくせに心の中でなんとはなしに人生の残り時間を計っているからだ。
この「無駄に」というのが重要なんだけど、計っているくせに特に他に有意義な行動を起こしているわけではない。資格を取ろうと猛勉強するでもなくいい年なんだから森の小さな教会で結婚式をあげようとまい進するわけでもない。一切ない。ともかく無駄に焦燥感だけはある。そしてその焦燥感に駆られるあまり、休日には寝転がってその焦燥感に浸るだけの生活を繰り返している。なにこれ。

こういった感覚は映画だけではなく、つい数年前までは随分と観ていたアニメにも適用されており、30分がつらい。この時間がつらいんじゃもうアニメを観られない。短縮するなら、アニメじゃない(アニメじゃない)ほんとのことさ。
今現在継続して観ていられたのは『スカルマン』なのだけど、それもHDDレコーダーにたまり始めている。

そんな中、マイメロさんは非常に地球とオレに優しい仕様になっており、15分(実際はもっと短い)にすることで内容もしまるしオレの無駄な焦燥感も働きにくく、大変スッキリする。素晴らしい。何もかも素晴らしい。あまりにも素晴らしいのでマジシャンのピエールと茶番をつき合わされている加藤夏希さんを30分凝視してしまうくらいだ。それじゃ意味ないじゃーん!昇太です!

結婚していないところだけしか昇太さんではないので続けるが、時間の感じ方というか価値観の変化というか、なんかそういうもんって年齢を経ることで色々感じません?ってことだったのであった。
こういう意識が働いているのはもしかしたら映像作品の鑑賞に対して主に生じているかもしれない。単純に時間の割り当て方というか優先順位が変わっただけなのかもしれないが。かといって他にそれに値するものへとシフトしたというわけでもない。

そういうことでいうと、このはてダ書いてる時間っていうのも相当無駄なんだろうな。ダラダラとながら書きしていたらなにげに40分経っていた。こういう時間があるならそれをネコをなでたりじゃれたりする時間に充てたいのだ。切に。それが社会的に無駄であろうと、ネコと過ごしてえなあという徒然。

というような思念から逃げるように、かといってその思念を楽しみたいという欲求も同時に生じ、ビールを呑んで寝ようかと思うのであった。きっとこの行為こそ無駄なんだろうけど、大市民語録の山形鐘一郎なら美味し的価値観で良しとしてくれるに違いない。
ヨーカドーにて半額で買ってきたローストビーフに麒麟淡麗グリーンラベル、美味し!(永眠)