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カッツェにしてもいいですか

お酒を飲んでサブカルチャーに触れたり北方謙三に抱かれたりするブログです。

夜空のムコウには替天行道はないのかな

ここ数日といえば、坂本を征する者は世界を征すと言われる真綾さんのライブ後の感想を毎日長文にしたため、filnの非公開日記に置いておくという大変気持ち悪い行動を以て自らを律しています。

あ、filnって知ってる?運営者に色々あったソーシャルネットワークサービスな?

で、非公開ってことは、オレにしか可視化されないってことな?なら、メモ帳でいいじゃない!でも違うんだ、一旦そこに日記として表示されると、アップロードして自分以外へ垂れ流してやったりこれはしたりというしたり顔に浸れるんだ。アレはいいシステムだ。

なぜそんな行為をしているかというと、色々複雑な心境が交差しているからであり、自分でも気持ちの整理がついていないからであり、なんというか、なあ。色々考えてしまう、それはポジもネガも過去も現在も未来も含めたものであって、もうな。

そういった思念に囚われ縛られ考えあぐねて暮らしたいのだが、現実が押し寄せてきてそれを許さない。いや実際考えあぐねる行為に明け暮れているから許されてるっていうか自ら許しちゃってるというかそういう一人解放運動なんだけど、本当はそんな場合でない感じであり、職業的に色々差し迫っており、なんというか、自分は現状を維持(キープ)することに快楽すら感じるほどであるにもかかわらず変化を求められているわけであり、現実の推移に伴って現場の行動も伴いつつ一からの組織作りの担い手の一人として行動しなければならず、でもそういうのは大いに向いていない。

そういう、大量のカロリー消費を伴う行為って、よっぽどのモチベーションがないと無理やろと思うわけで、そのモチベーションというのはオレは持ち合わせていないわけで、だって現状を維持することにモチベーションを傾けているからなわけで、いやそう考えると大量なカロリー消費は現状を維持することに使いたいわけなのだな、オレは。

北方水滸伝を読んでいる際、梁山湖に集う彼らの生き様に興奮しながらも、どうにもメンタル的に伏し目がちになっていたのだけれども、そういう事なのよね。なぜ彼らは始めに形すらないものを作ろうと思い実際作り始め、営み続ける手段を考え、積極的に改善提案をし、それが軌道に乗るよう努力しているのか。憧れながらも、ついていけない部分があるのよね。相当。

そういうオレのスタンスから見ると、いや他の読者の間にも結構いるんじゃないのか、じゃあ彼らを駆り立てた「替天行道」ってものには一体何が書かれているんだ。

ふとしたきっかけで手にする。ひとたび手にし、なにげなく目を通す。惹かれ、目を離せない気持ちにさせられ、これを記した人物とは何者なんだ、どこにいるんだ、共に行動する事は出来ないものか、共に出来ないまでも、己で実践出来ないものか。

結局、物語の上では「替天行道」というものの内容は記されない。宋江という人物の、中国でいう天、すなわち政府への不満が記されているという説明しかされていない。

一体何が書かれているんですかと思うわけです。それさえ一読すればこのオレですら何かが変わるのではないかと夢想するわけです。オバマとか目じゃねえ。何かをせざるを得ない気持ちにさせられるに決まっているんです。読み、一度とは言わず、何度もどうすればいいのか考えるかもしれないが、ふと思い立つと考えるまでもなく体が、動作が勝手に軌道に乗り、進まない自分には違和感さえ感じる、そういう自分がそこにいるのかも知れないわけですよそれさえ読めば。そして肉まん海鮮まん食う行幸に見舞われ、あわよくば解珍のたれで獣肉食える。

あー、早く替天行道所持法が改正されねえかなあ。オランダのアムステルダムなら町中にあるコーヒーショップにゴルゴ13課長島耕作と並んでおいてあると人の言う。WHOだってたばこより替天行道は健康に害がないって認めてるしよう。

などと、これを書く間にも坂本真綾『かぜよみ』を聴きながら仕事への前向きな意識の変容をきたしつつあるのであった。あ、あれ?もしや、これがっ…!(意識が混濁してきた模様)