カッツェにしてもいいですか

お酒を飲んでサブカルチャーに触れたり北方謙三に抱かれたりするブログです。

根性焼きかもしれない それでいいけど どんなに怖くたって目を逸らさないよ 全ての終わりに愛があるなら

(ヱヴァQのネタバレを含んでおりますので、お気をつけください)

(新橋居酒屋「焼酎甲類補填計画」にて)

間宮「飲酒し過ぎで体壊したからやめようとした!でも美味しいしポカポカするからやめられないんだ!それの何が悪いんだよ!」

冬月「それの全てが悪いのだよ」

間宮「はは、そっか、こりゃあおじさん一本取られたわ。合わせ一本ってやつですかな。どれ、いっちょ新橋の酔っぱらいを狙い撃ちして政治のインタビューしてくるテレビ局でも探しにおあいそするか。おねえさん、お会計!しかし冬月、あの頃とは違い、みな歳をとったものだな…」

冬月「お前に言われたかねえよハゲ」

旧劇にてオレと冬月二人浜辺で横たわり、冬月から猫パンチ、時には猫キックをくらい「気持ち悪い、ゼッタイ無理罪で逮捕しちゃうぞ」って言われてから幾星霜。

こないだヱヴァ地上波放送前に夜中テレビ版やってたけど、ミサトさんが今思う以上に月野うさぎだった。そういや序の時、琴乃さんがまだミサトさんの声いけてるぞ、なんて思ったけど、時はやはり残酷なものだった。いやミサトとしては今ぐらいでむしろちょうどいいのですけど。

地上波で破を鑑賞し、Qの予告も目撃し、居ても立ってもいられなくなり風雲に無理言って急を告げさせてチケット予約。初日から鑑賞して参りました。

以下、ヱヴァQ感想という大義名分を得て、相変わらずの新橋での一人居酒屋チラシの裏に書き散らしを。全ての人類に花束を。

そもそも僕は、テレビ版の最終回が大好きなのです。いや、正確には大好きでした。あそこで完結してるんですよ。何しろみんなにおめでとうと言われて両親に感謝しているわけだから、これ以上のハッピーエンドはないじゃないですか。ちょっと言い過ぎた。あの時のせっぱつまった制作状況で、極狭い状況に限定する、もちろんせっぱつまっているから作画も限定される、って中での、小劇場で生まれた奇跡的な出来だったと思うのよね。

でもオタクの気は収まらない。作画崩壊だシナリオ放棄だこりゃあ一念発起してプッチだぞとばかりに、非常に真っ当な怒りを持って、牧村美樹の如く庵野の首を掲げて庵野ガイナ許すまじとばかりに気勢をあげるばかり。

でもその気勢はその気勢の数だけお金になるので劇場版で納得するもの作りますよと。でも、なにしろさっきも言いましたが、全く作り変えるなら話は違いますが、庵野氏の中で大筋があれだとなっているのだとしたら、ああいう状況下こそ良かったものの、色々時間も予算も得られたことで、かえってさいたまスーパーアリーナで小劇場の頃のまま公演されるようなもので、それを見せられた映画館で煮え湯を飲まされる大きなお友だち。商売としてはよろしいが作品としては駄作ではないがそもそも作ること自体が蛇足でした。何しろさっき庵野の首を槍で掲げちゃってるしな。

まさか、と思われた新作が作られても、自分は序の時は冷めていました。既に完結しているものを作り直すと言われても。しかも序を見ると映像的には見栄えがするけどすっかり毒っ気が抜けたものになっていました。と、最初は感じてました。

そんな自分も、破を観て主治医が家族を呼ぶくらい容態が急変します。徐々に、着々と、しかも巧妙にテレビ版へ改ざんを加えてゆき、ブツ切りに登場する新キャラは今でこそ人妻となり冷静と情熱の間で接することができるが当時はもう熱烈だった世界の坂本まあーや。あげく、テレビ版でのクライマックスとも言える場面での思わぬシナリオ分岐。最初映画館で観た時にはまことちゃんのようにはぷはぷして状況が飲み込めませんでした。

ドラクエの宿屋でぱふぱふしてもらい気持ちを落ち着け、2回目観に行ってからは虜ロールです。もちろんBDを購入し、何度も何度も見返しています。酒飲みながら後半だけより抜いて。

そのようなロハスなライフスタイルによりすっかり自分の脳は上書きされてしまい、エバーがああいうものだという事も庵野がああいう人だという事もラジオ体操第一も、もちろん第二も、ましてや第十三も。君の名前すらも忘れていたんだ。脳天気にポカポカしようとしていた。ポカポカしようとしていたんだ!

で、やっと本編の話ですが(なげえよ)冒頭辺りでなにやら分岐、間違えた?とは思いつつも追いつくので精一杯ですが、どうやら何かおっぱじまってるということぐらいは長年軍務に就きながら望みではなく能力的に生涯二等兵を貫くこの自分でも分かるのでしがみつきながら観続けていると途端にテンポが弛緩します。カヲル君。

そして他の人とも違うポイントというか、パンフでのインタビューで緒方恵美さんはおっしゃられてましたが、シンジ君がピアノ弾けるようになるの早過ぎ問題ですっと冷めます。SF考証的な事は全然分からないのでそういうのはどうでもいいんですけど、ことこういう日常にも触れるものについては、いやそれはないわ、ってなっちゃうのよな…あ、今思ったけどドラゴンボールの精神と時の部屋のような空間になって弾きまくってたと思えばなんか納得してきた。

後半の戦闘もかっこいいのだけど、何かがモヤモヤして。脳にモヤがかかって。ラストで劇場が「え、ここで終わり?」っていうちょっとしたざわめきが生じた時に思い返した。そうだ、本来好きだったエバーはこれだ、これだったんだ。だけど…

人それぞれで違うのだろうけど。エバー体験は学生の時で、エバーに乗りたくないと思えば乗らなくても済んだ。いざ社会人になってしまうと、エバーに乗って日当稼がないとそもそも食事を得られない。使徒倒してなんぼの歩合制ですわ。いやほんとは普通に月給だけど。

心の準備もしないまま不惑に惑い続ける年齢になってしまった今、最早旧エバー、ましてや旧劇場版に耐えうる体力は微塵もない。元気いっぱい綾波の腕を握り救い上げる姿を見ないと日常を維持する事すら危ういのです。みなさんも何年後かわかりませんが、そんなインパクトをゲンドウは仕掛けてきます。X星人みたいなグラサンして。

そんな耐久力のなくなった自分に一番ショックを受け…これはあの頃のオレならウヒヒ、キャッキャウフフと喜び勇んで楽しめていたはずなんです。あの頃のオレならば、これこそエバーだと言ってたはずなんです!あの頃のオレならば。ノノリリならば。零距離ならば!・・・アニメだけ観てるやつにはわかんねえだろうけど、オレみたいな人間にはわかっちゃうんだよねえという物凄くうざいサブカル星人の気持ちになれたはずなのです。だのに、なぜ!

破を押し付けられた(?)鶴巻氏を感じられるものが、冒頭から後半にもあるにも関わらず、その鶴巻氏が指示を仰ぐように押し殺されるような庵野の影のチラリズム。本来ならどちらも個別では好きなのに、絡むとオレの中でこじれる。そういや一人称もオレと僕でこじれてる。そうだ、エバーだから僕で統一しようと思ってたけどオレ寄生獣の三木だから意思統一できなかった。

自分の衰えと、そもそもこの作品自体に起きている惑いと、ぶっちゃけなんかしらどっかで鶴巻さんが作り上げてたものを庵野がちゃぶ台引っくり返して元に戻したんじゃねえか疑惑などで頭がコンフュージョンしたままであり…

元々望んでいたのはサービスサービスで完結してさあ明日もこの衰えた気力体力時の運を無理かな持ち上げて仕事がんばるぞうというものを望んでいたのだけど…でもちょっと間を置くと、これはこれで良かったのかなあとも思い始めました。今書きながら思いました。おぉ、これが、ライブ感?ここ、はてなブログがオレの、ステージ?

超長くなってすみせんでした。お詫びに、全人類が望むオレの日常を記しますね。こないだトイレの紙使いすぎて詰まっちゃって。もっかい流せばいけるやろと思ったら表面張力GIRIGIRIまでいっちゃってもうアセアセ><盗んだバイクで走りだし正式名称知らんけどトイレスッポン買いにいったら今のトイレスッポン、おしゃれなデザイン過ぎて見つかるまでエバーのバッテリー保たないっつうの☆んで買って急いで盗んだバイクで走りだし(二回言った)事なきを得たんだけど、これが後の世に言う東京事変である。なんて、なんちゃって、なーんつっちゃってー!