カッツェにしてもいいですか

お酒を飲んでサブカルチャーに触れたり北方謙三に抱かれたりするブログです。

のび太の恐竜観てきた

予想では、全体の流れで迫ってきて、後半の盛り上がりで涙腺か?と思っていたのだけど、なにげに前半の通常ドラえもんワールドが大変素晴らしかった。
藤子・F・不二雄先生の目記号を忠実に再現する場面と、アニメスタイルかい?というようないびつな蠢き場面が溶け合っているんだかないんだかわからない具合に混ざり合っていて、気持ちよかった。CMでもやっているドラちゃんの「温かい目」だが、こんなに押し出してくるとは思っていなかった。それぐらいインパクトがあった。
で、なにが楽しかったって、そういう気持ちよく蠢く作画の場面ほど子供がゲラゲラ反応してんのね。単純に顔が動き崩れていくのは快楽原則にのっとっているんだなあと思った。

後半、なにか物足りないと思って観ていたのだけど、帰りに原作買って読み返してわかった。差し挟まれるうんちくが一切ないのだよな。藤子両先生の、突然細かく説明されるうんちくでボクは育ったので、こういう部分は省かない方がいいと思ったんだけど、いや映画では必要ないんかな。それより蠢いていた方がいい。
それと、小さい頃異常にあこがれたのがキャンピングカプセルで、あれで一生暮らしたいくらいで、子供が作る秘密基地的な要素もあるのにものすごい快適空間じゃないですか。その描写が薄くてちょっと残念だった。いや、正直に言うと、キャンピングカプセルでシャワー浴びるしずちゃん描写が物足りなさすぎたことが残念だった。すごく残念だった。無念と言い換えてもいい。

そういう意味では、しずちゃんのパンツ度も少なかったので残念だった。無念と言い換えてもいい。
先日「ダウンタウンDX」で須藤元気さんが「女性は絶対白パンツ」という理論を、お客さんがドン引きするくらいに熱弁されており、いたく感動いたしまして、中でも「宮崎アニメで、女の子がはいているのが白いパンツなんですね。清さの象徴なんです。それを小さい頃から刷り込まれているんです」(アバウト)というようなことをおっしゃっていて、いやあなんというか、宮崎アニメが権威になってしまった今、中々言いにくいけど全くその通りだよ!ということを熱く語ってくれた元気さんがんばれと思うのですけど、そういや予告で例の宮崎ジュニアが監督という『ゲド戦記』をやっていたのですけど、まあこのときめかなさは異常だなと思った。絵とかね、あぁそうね、ジブリなのかな、っていうアレなんですけどね、そのスカスカ感が異常。フックが一切ない。あんなんじゃイカの一本釣りなんてできやしない。形骸も甚だしい。予告でこれってことは本編はもうとんでもないことになるんじゃないだろうか。2時間の虚無というような。

あ、話それましたけど、そうそうドラえもん。ともかく、うねうね動く絵に子供が単純に反応していた、あぁこれはドラえもんの映画として成功したのだなあと思ったのでした。終わった後かなりの子供が「おもしろかったー!」と声に出して言っていたし。

オレの座っていた列の左の方にいた家族の女の子が、終盤から映画終わったあとまでずうっと泣きじゃくっていて、ボクも武田鉄矢さんの『少年期』の歌詞を思わず心の中で反芻しながら、ああ僕はどうして大人になるんだろう、と疑念を抱き、帰途したのであった。

ああ 僕はどうして夜中に酒を呑むんだろう。それは間違って大人になっちゃったからなんだろう。間違って大人じゃなく、間違った大人、なのか。ほのかなのか。ピューイ。