邂逅としてのゲーム未来地図
「レボリューション」にMD、PCEがッ!
結局のところワタクシ勃起を禁じえないわけでありまして、もし禁止と言われれば「校則に書いてない」の一点張りをした後前張りをすることで示談ということなんですけど、もうあれよね、どこらへんを次の世代と呼ぶのかよくわからないけど次世代ゲームというのはもうパワーゲーム(いかに予算と時間と優秀な人材を投入できるか)ということになってるわけで、数人勝ちのような状況になってゆくのですよね?ていうかもうなってる。
ただ、人間30代にもなってくると、徹夜で何時間もプレイする時間も気力も好奇心も失ってくるもので、なによりしんどいのが画期的(であろう)新システムを理解する工程がつらくてしかたがないのです。
なので、脳に記憶された後を辿ることでプレイできるものが要求されるのですね、ボクのような人間には。すると、こんなボクにも出来た、というようなあの頃(「あの」の指すものはあくまで自分基準)のゲームをまたやってそれをこなせて達成感を得たいわけです。
で、願わくば、やはり過去のゲームというのは美化されて記憶されていることもあるわけなので、ちょろっとプレイして「あ、やっぱええわ」と10分くらいで投げ出しても後悔しないような値段であることが望ましい。今PCゲームにおいてはプロジェクトEGGが良い運営をしていると思います。これで切腹謝肉祭戦国シミュレーションのHARAKIRIもできるわ。
というわけでレボリューションへの期待というものを書き綴ってきたわけですけど、閾値として設けたいのは「『迷宮寺院ダババ』がダウンロードできること」です。これがダメならアンゴルモワとか恐怖のビッグキングとか、そういう感じです。