カッツェにしてもいいですか

お酒を飲んでサブカルチャーに触れたり北方謙三に抱かれたりするブログです。

僕たちの好きな「てゆうかありえない」問題

佇む。風は肌を切る。
上半身は裸をむきだしている。
それが岩の皮膚を感じられて心地良いからだ。
手に水を握る。秋ウコンを無造作に放り込み、急くように飲み干す。なぜならそれが臓腑に良いからだ。
 

そんなハードボイドゥド(北方先生の方ではなく内藤陳の方)を勘違いしながら、要は若いもンと焼肉喰ってチャミスルジュセヨしたら大変酔ってしまい、帰りのコンビニで気付けば『制コレISM04』なんてえ、オレが買うには犯罪スレスレのブツをカゴにねじりこんでいた花の金曜日、略して華の慶次な今日なのでした。

そんな、一片の曇りもない、完璧な計算で造られたオレというセカイで絶賛パワープレイ中であるところのPerfumeなんですけど、『コンピューターシティ』の歌詞で何が好きって、多分自意識過剰ヤングなぞもこのブービートラップに嵌っていること受け合いなのだけどもこれよ。

絶対故障だ てゆうかありえない
僕が 君の言葉で 悩むはずはない

なんだよ、オレだけじゃねえだろ?正直に言えよ。あの日あの時のこと思い出しながら、悶絶したり抱腹したり絶倒したりしてんだろ?誰にも言わないからオレだけに言っちゃえよ。そしたら「あ、そう」と一切興味なさげを装ってその実本気で100%中の100%興味ない骸のような表情で頷くからよう。話しかけたって無駄DAZE?ただのしかばねだからな。

ただね、一箇所どうしても解せない部分があって、世代の問題なのかどうかしらんのだけど、この歌詞全体の主格は「僕」で、且つそれは僕を一人称とする「僕女」ではなく男、だよな?そうすると、「てゆうかありえない」ってのがひっかかるのよな。そんなこと、こんなに自意識過剰な「僕」が言うはずない。てゆうかありえない。あ、今言った、な?言うか。言っちゃうのか?

というのが感想だったのだけど、改めて通して歌詞を眺めると、仮想人格の可能性も考えられるなあ。あぁそうか、そうなのかな。故障するしな。

なんやもうわからんくなってきたので、新撰組新田革左衛門が斬りかかってくるところへ両脛を斬りつけ、「お見やーん」と土佐人独特の素っ頓狂な気合をかけては、刃をふるって飛びおきたり、踏みこみ踏みこみして斬りむすんでみたり、斬るたびに叫びながらも会津兵からは容易に捕捉されなかったりしながらもやがてくたびれて「わしは忠告を聞かんじゃった。いま死ぬわい」とつぶやき、死んだ気になって満足して買ってきた発泡酒をまた呑むのであった。たまるかー