影の伝説(feat.ヤマキ)
のぼうの城を読み大変面白かったので、和田竜さんの次作も読み始めている。
- 作者: 和田竜
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/05
- メディア: 単行本
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こ、これも大変面白い…いささか文献の引用部分が多い気もするが、忍術野郎どものことごとくいやらしく卑怯な(誉め言葉)行動がステキすぎるので良し。あ、忍術という言葉を使ってしまったけれども、この場合というか和田さんにおける忍術は多分に心理術というか騙しのテクです。
同時に北方水滸伝9巻も読み返すというオレの素晴らしきマルチタスクぶり(分速1ページくらいの遅読CPU)なんですけど、北方歴史文学において頻発というかなくてはならない科白として
「わかるような気がします」
「わかる気がする」
と、まあ語尾に各人のパーソナリティが出るも、相手の意を汲むというか、基本的に北方会話術では対立構造は生まれにくく、和を重んじます。なぜかというと、登場人物全てが北方謙三そのものだから、そもそも対立構造になりえないのですね。軍議の席でも、対立しかけると大抵話題を転じるというグルーミングが行われます。
まあそもそも、同陣営での会話の話であって、敵同士であれば会話をする機会もまずなく、ともかくフィジカルにぶつかり揉みに揉んだり揉まれたり、ボディランゲージへのステージ移行がなされます。揉んだ感触で分かろうとするのですね。
という認識でおったのですが、今日読み返した9巻、青蓮寺勢での会話で、とある人物がこんな科白を発していました。
「いくらか、多分、ほんの少しだが、わかるような気がする」
なっ…!?そ、それは、
「ほとんどわかるような気がしない」
ということでは!?割合的にどちらを重視するかと言えば、ほんの一握りでもわかるような気がしたい北方節だというのかっ…!?それが北方好漢世界なのか…
日本語と好漢の気持ちが、いくらか、多分、ほんの少しだが、わかるような気がする…ぶっちゃけほとんどわかるような気がしない…この表現を数値化できればちびうさの言う理系カンカクに近づけるのかもしれない。そんなことを思った夜でした明日超忙しいんだけど困った超寝る。